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今回の恋愛格言は、ダンテの代表作『神曲 煉獄編』の第8歌に登場する人物、ニーノ・ヴィスコンティの言葉です。
『神曲』はダンテが42歳であった1307年ごろから、病死する直前の1321年までおよそ14年もの月日をかけて書かれた一大叙事詩で、みずからを主人公とした物語は第1~100歌の詩で構成されています。
ある時ふと、生きた身体のまま地獄へ迷い込んでしまった物語の主人公ダンテは、あの世の3つの世界、地獄・煉獄・天国をめぐり、さまざまな人物と出会います。
煉獄とは、一切の救いがない地獄と違い、正しい行いをして生前の罪を悔い改めれば天国へいたることのできる世界ですが、そこで出会ったダンテの元知人のニーノが、現世に残してきた妻を想って語ったのがこの言葉です。
ニーノはダンテに、煉獄にある自分が天国へ行けるように娘に祈ってほしいと伝言を頼みます。
しかし妻は自分のために祈らないだろうと嘆くのです。
実在の政治家であるニーノ・ヴィスコンティは、血で血を洗う政争に破れた後、ピサから追放され失意のまま27歳で死亡します。
すると妻のベアトリーチェ・デステは、彼の死後ほどなくしてミラノ最大の名門貴族と再婚。
ニーノはかつて愛しあった妻の心変わりを恨むように、
「女というものは、つねによく見てやり、時には肌にふれて火を燃やし続けていなければ、愛の炎は燃え続かないのだ」
とわが身の不幸を悲しむのです。
ダンテもまた、生涯をかけて愛し続けた女性を非情な運命に奪われた経験があります。
少年時代のダンテは、同じ年の美しい少女ベアトリーチェ・ポルティナーリに出会い、一目見るなり激しい恋に落ちました。
ふたりは会話もせず会釈をかわす程度の間柄でしたが、ダンテは熱病に冒されたかのように想い続けます。
ベアトリーチェが年上の裕福な銀行家と結婚してしまっても、24歳で病死してしまっても、生涯にわたって永遠の淑女として賛美し続けました。
実は、ベアトリーチェに一途な想いを持ち続けながら、ダンテも20歳前後で親の決めた婚約者ジェンマと結婚しています。
理想の女性像は芸術の霊感ともなる存在ではありますが、結婚していながら初恋の女性への愛をうたいつづけるなんて、妻にしてみればたまったものじゃありませんよね。
そのせいか、ダンテがニーノと同じように政争に破れ故郷を追放された際には、妻と子は故郷に残り、一人流浪の身となってしまいました。
愛する人を失った悲しみや妻と離れ離れになってしまった寂しさを、ニーノの言葉として語らせたのかもしれませんが、ダンテが孤独な晩年に至ったのはまさに自業自得。
大切な人であるならば、きちんと相手への関心を持ち続け、その身体に触れて愛を伝えていかなければ、心をつなぎとめることはできないのです。
「男は初恋の女性を忘れられない」とは言いますが、現代の男性にはぜひ今回の格言を心に刻んでほしいものです。
今週の恋愛格言をのこしたのは、700年前に生きたイタリア文学最高の詩人であり、哲学者・政治家でもあったダンテ・アリギエーリです。
イタリア中部トスカーナ地方の都市国家フィレンツェの小貴族の家に生まれ、ボローニャ大学で哲学・法律学・修辞学・天文学を学び、はじめは政治家として活躍していました。
後に政争に破れ北イタリアを放浪する生活の中で、『帝政論』・『饗宴』・『新生』と共に、代表作である『神曲』を書き上げています。
ダンテは、永遠の淑女であったベアトリーチェを心に想いながらも、妻となったジェンマ・ドナーティとの間には4人の子供をもうけていますが、追放後の放浪生活には妻も子もついてくることはありませんでした。
妻の実家ドナーティ家は黒党、ダンテは白党の幹部と、政治的に対立してしまったからなのか。
はたまたいつまでも初恋の女性に恋い焦がれる夫に愛想をつかしてしまったからか、真実は歴史の闇の中…。
死してなお、ダンテは追放されたまま、故郷であるフィレンツェに戻ることはできませんでした。
今もひとり北イタリアの古都ラヴァンナの小さな霊廟で眠っています。
無事ベアトリーチェにみちびかれ、天国の門へいたることができたのでしょうか?それとも…?