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もしも恋する相手を思い通りにあやつることができたなら…
恋愛経験のある人なら、きっと誰でも考えることでしょう。
戦後文学界のスーパースター・三島由紀夫は、随筆『第一の性』の中で、女性には謎の多い「男の男らしさ」ついてくわしく解説しています。
センチメンタリズムとは感傷主義ともいい、感動したり涙もろかったり、さまざまな事象に感じやすい性質のことを指します。
三島先生によると、男はみんなセンチメンタリスト。
中には自分はドライだ非情だとカッコつけているヤカラがたくさんいますが、そんな男ほどセンチメンタリストなんだそうですよ。
そして「男性操縦術の最高の秘訣は、男のセンチメンタリズムをギュッとにぎることだということが、どの恋愛読本にもかいていないのは不思議なことです」といっています。
例えば、なかなか家に帰ってこない恋人や夫に対し、
「仕事だなんて、どうせ口実で、悪友とうろついているんでしょう。私を一人で置いときゃ、浮気するだけよ」(『第一の性』より抜粋)
とガミガミやってしまうとまるでやる気を失ってしまうけれど、
「お仕事なら、いくらでも我慢するわ。一人でお留守番するのは寂しいけれど、そんなとき、むかし、あなたからいただいた手紙を何度も読み返していると、あなたがずっとそばにいるような気がして寂しくなるの」(『第一の性』より抜粋)
と言われたら、鼻の奥をツーンとさせて感動しつつ、猛烈にやる気がわいてくるとか。
要は泣きどころをつかんで上手に刺激してやれば、男性を思い通りに操縦できるということ。
でも、彼らがポロポロこぼす真実のかけらやバレバレの嘘を見つけても、ツッコミたい気持ちをグッと抑えてニコヤカに笑うには、ハガネの忍耐力が必要かもしれません。
センチメンタリストだのロマンチストだの、まったく男ってめんどくさい生き物ですね!
今週の恋愛格言をのこしたのは、第二次世界大戦後の日本文学界を代表する作家で、政治活動家でもあった三島由紀夫です。
古典文学や詩歌に学び、美麗でありながら端正に組みあげられた理知的な文体で、小説のみならず随筆・評論・戯曲など多くの名作をのこしています。
代表作は、小説では『仮面の告白』・『潮騒』・『金閣寺』・『憂国』・『豊饒の海』など、戯曲では『鹿鳴館』・『近代能楽集』・『サド侯爵夫人』など枚挙にいとまがありません。
海外の有名な文学賞を受賞するなど国際的評価も高く、1963~1965年のノーベル文学賞候補にも3度選ばれたことが分かっています。
1925年(大正14年)、平岡公威(ひらおか きみたけ・三島由紀夫の本名)は、東京帝国大学法学部に学び高級官僚として働く父と学者家系の母との間に、長男として生まれました。
生まれて間もないうちに実の父母から引き離され、中学に入るまで厳格で過保護な祖母の溺愛を受けて育ちます。
大名の血を引き、有栖川宮家で行儀見習いをしていた祖母は、非常にプライドが高くヒステリックな人でした。
体の弱かった公威少年は、祖母によって男の子らしい遊びをすべて禁じられ、時には女の子の格好をさせられて女言葉を強制されたこともあったといいます。
しかし祖母は芸術や文学への造詣が深く、公威は幼少期から歌舞伎や文学にふれて育ち、これがのちの三島文学の基礎となりました。
公威は小学校から通った学習院を首席で卒業し、自らも祖父と父と同じ東京帝国大学法学部を経て大蔵省に任官しますが、学生時代からペンネームの「三島由紀夫」として行っていた作家活動と、大蔵省役人として働く二重生活に限界を感じ、職業作家として生きる道を選択することになります。
まさに水を得た魚のように才能を開花させた三島は次々と名作を発表し、文壇だけでなく、舞台作家、映画俳優、モデルと活躍の場をひろげ、戦後日本のスーパースターとなりました。
しかし、次第に偏った政治思想にとりつかれるようになり、1970年に陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地に人質を取って立てこもり、割腹自殺で命を絶ってしまいます。
享年45歳。天才作家の早すぎる、そして衝撃的な死でした。